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4連休に旅を計画するも中止

4連休は,以下のような壮大な旅行計画を立てていました.

1日目

中部空港から女満別に飛び,網走で流氷を見る.

2日目

網走から電車で深川→留萌→札幌→新千歳,そこからバスで苫小牧へと移動し,苫小牧から仙台行の夜行フェリーに乗る.

3日目

仙台で観光し,夕方に伊丹空行の飛行機で帰る.

しかし出発前日となるこの日にトラブルが起きました.
ひとつは,ひどく腹の調子が悪くなりました.出勤はしたものの,かなりトイレと仲良くさせて頂きました.微熱もありました.
そしてもうひとつ,帰るとPCが全く起動しなくなりました.旅行計画はPCの中にあり,準備もまだだったのでこれでは出発もままなりません.

結局旅行は中止することにしました.女満別行のフライトは特典予約だったので日程変更ができましたが,仙台からのフライトは早割で買ったため60%のキャンセル料となりました.フェリーとホテルもそこそこのキャンセル料が発生しました.

4連休はPCを復旧させたり(結局色々やったら故障個所もなく復帰しました),旅行で行く予定でなかったD-schoolのオプション講座に出席したりと,それなりの4連休を過ごしました.


遅い紅葉

長岡天満宮で撮った紅葉です.
後ろのぼかした紅葉もいい感じ

京都の紅葉は12月に入るとまず見られないものですが,今年は12月の半ばでもこのように紅葉が残っていました.
むしろ11月は暖かかったせいで色づきが悪く,12月からの方がきれいな紅葉が見られたようです.


家にイタチ

2階の自分の部屋にいるとき,1階の方からビニール袋をあさるような音が聞こえてきました.
おそるおそる見に行くと・・・イタチでした.

近づくと逃げていきましたが,しばらくするとまた侵入してきました.
うちにはかつて庭だった増築部分があるのですが,そこにある小さな穴から侵入しているようでした.
その区画を締め切って暗視付IPカメラで観察していると,うろうろしている様子が撮れました.
残念ながらカラーで撮れなかった

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夜の清水寺で紅葉(色づき始め)撮影

京都も紅葉の時期となりました.
紅葉の時期の夜の清水寺をかねてより撮りたいと思っていました.
清水寺のWebサイトで紅葉が見ごろになったと情報が出たのと,この日以降はまた天気がずっと悪いようなので,他からの情報では早いようでもありましたが行ってきました.

そして撮ったのがこの写真.やはり早かったです.
緑多し

しかし清水寺の混雑っぷりは相当なものですね.
茶わん坂の方から行ったのですが,入場券買うのに坂いっぱいの行列ができていました.
中国人観光客によって数年前よりずっと人が増えた気もします.


雨の日は見やすい京都大階段のイルミネーション

親が泊まりに来ていて,この日は京都駅ビルのモリタ屋ですき焼きをおごってもらいました.
その帰り,毎年恒例の京都大階段のイルミネーションを見に行きました.
あいにくの雨でしたが,お陰でいつも人でいっぱいの階段にはこの日は一人たりとも座なく,無人の状態で階段のイルミネーションが撮れました.
ちょっとななめ見栄えする



古田織部展に行く

電車の広告で古田織部展が開催されていることを知りました.
実は今年,日本文化からビジネスを創造するといったようなセミナーを受講していまして,茶道を分析したりしていました.
古田織部と言えば千利休の跡を継承しつつ独自の茶道を大成させた人です.

そんなわけで興味を持ち,ヨーロッパ旅行のときですら美術館には見向きもしなかった自分ですが,今回は古田織部展が開催されている佐川美術館に行くことにしました.
佐川美術館は琵琶湖の近くにあり,最寄りの駅から10km程離れています.バスはありますが本数が少ないため,レンタサイクルで行きました.

こちらが佐川美術館の外観.中はもちろん撮影禁止です.
外はまあいいんじゃないかな

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青函の旅 終了

舞鶴港には5時半頃着きました.
船は船でお疲れ様

それから赤レンガ倉庫を見つつ東舞鶴駅まで歩いていき,特急に乗って帰り,今回の旅は終わりました.
この日は念のため有休をとっていたため,昼間に泳ぎに行ったりとのんびりと過ごしました.

以下に今回の旅についてまとめます.

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青函の旅 4日目

午前3時になるとアナウンスが入りました.「乗船は5時からです」と.
2時間テキトーに過ごし,ようやく乗船しました.こちらは通路から撮った今回乗るフェリーです.
あかしあ

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国勢調査をネットで回答

今年は5年に1度の国勢調査があります.
先ほどインターネットでの国勢調査の回答を終えました.ネットで入力できるようになるとは,便利になったものです.

京都の国勢調査のRPポスターはアニメの絵を採用していて,一部で話題になってます.
KRPにて

こういった(?)PR活動は大正9年(1920年)に行われた第1回 国勢調査から既に行われていて,そのときは歌謡や都都逸(どどいつ)を作ったそうです.その都都逸のひとつが(出典),

主(ぬし)はわがまま 妾(わたし)は気まま 国勢調査はありのまま